向山敦子 ヴァイオリンリサイタル ~音楽のおくりもの Vol.4~(2024年5月19日 )

ヴァイオリン 向山敦子 ピアノ 柏原佳奈
2024年5月19日(日) 
会場 EPTA SAAL (エプタ・ザール)
所在地 狛江市和泉本町1-7-16

Program

モーツァルト ピアノとヴァイオリンのためのソナタ ト長調 K.301
W.A.Mozart : Sonata for piano and violin in G major, K.301
Allegro con spirito
Allegro

バッハ 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004
J.S.Bach : Partita for solo violin No.2 in D minor, BWV1004

Allemanda
Corrente
Sarabanda
Giga
Ciaccona

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プロコフィエフ ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ニ長調 作品94 bis
S.Prokofiev : Sonata for violin and piano No.2 in D major, Op.94 bis
Moderato
Presto
Andante
Allegro con brio

Program Notes

・モーツァルト ピアノとヴァイオリンのためのソナタ ト長調 K.301
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)は1777年にドイツの作曲家ヨーゼフ・シュスター(1748〜1812)の「鍵盤楽器とヴァイオリンのための6つの二重奏曲」に出会い、姉ナンネルに「僕も同じスタイル(ピアノとヴァイオリン両方の楽器が対等に旋律を奏でるスタイル)で6つの作品を作ってみようと思っています」というメモをつけて、そのシュスターの作品のスコアを送りました。
1777年10月末から1778年3月中旬までの4ヶ月半、モーツァルトはパリに向かう途中のマンハイムに長期滞在します。そしてマンハイムでK.301,K.302,K.303,K.305を、パリでK.304とK.306を作曲し、出来上がったのが全6曲(K.301〜K.306)からなる「マンハイム・ソナタ」と呼ばれる曲集で、その第1曲目にあたるのがこのK.301です。
のびやかな第一主題を歌ってはじまる第1楽章、第2楽章はピアノの旋律で始まり、舞踏のような優雅な雰囲気の中、中間部のト短調の哀しげな旋律は一度聴くと忘れられない美しさです。

・バッハ 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004
ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)は言うまでもなく偉大な作曲家で、膨大な数の優れた作品を残しました。その中でも「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」はソナタ3曲、パルティータ3曲の計6曲からなる作品で、その複雑さと美しさからヴァイオリンのレパートリーの傑作と言われています。4楽章構成で書かれているソナタ3曲とは違い、パルティータ3曲は多楽章の組曲で、それぞれが自由な楽章構成になっていてソナタとは違う世界が展開します。
このパルティータ第2番はアルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグと4つの舞曲につづき、最終楽章にこの曲集の中心といえるシャコンヌが圧倒的なスケールで存在しています。シャコンヌとは、短い低音主題を何回も繰り返しながら、それを伴奏として、その上にさまざまな旋律をのせて作られる変奏曲の形式による舞曲です。
後の作曲家、メンデルスゾーン、ブゾーニ、ブラームスなど、数多くの作曲家がバッハのシャコンヌをピアノ伴奏付きやピアノ用に、そして管弦楽用に編曲しました。
作曲家に、演奏家に、そして聴いている方々に愛されているバッハの代表作のひとつです。

・プロコフィエフ ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ニ長調 作品94 bis
セルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953)は帝政ロシアのエカテリノスラフ州(現ウクライナ ドネツク州)ソンツォフカで生まれ、1904年から1916年までサンクトペテルブルク音楽院で作曲と指揮とピアノを学びました。
ロシア革命の混乱を逃れ、シベリアから日本を経由して、アメリカ(1918年〜1922年)やパリ(1922年〜1936年)で生活し活動をしていましたが、プロコフィエフにとってヨーロッパもアメリカも永住の場所とはならず、また故郷への思いも募り1936年に母国へ戻ります。
プロコフィエフが戻った1930年代のソヴィエト連邦はスターリン主義の真っ只中でした。創作活動が厳しく制限されていた頃で、“スターリン主義にふさわしい音楽”に書き直しを迫られることもありましたが、そんな環境の中でバレエ音楽「ロメオとジュリエット」や「戦争ソナタ」といわれるピアノソナタ6番〜8番などの傑作が生まれています。
1941年ヒトラーの命令でドイツ軍がソヴィエトに侵攻を開始、独ソ戦が始まり、モスクワを離れたプロコフィエフは、疎開先の各地で創作活動を続けていました。1942年から1943年にかけて疎開先のひとつであるウラル地方のペルミでフルートとピアノのためのソナタ 作品94を作曲します。そのフルートソナタの初演を聴いた、ヴァイオリニスト ダヴィッド・オイストラフがプロコフィエフに熱心にヴァイオリンソナタへの改作をすすめ、またプロコフィエフもそれを快く受け入れ、1944年にオイストラフの助言を得ながら完成したのがこのヴァイオリンソナタ第2番 作品94 bisです。この曲は友人のヴァイオリニストであるヨーゼフ・シゲティに捧げられました。
優しく澄んだ音色で始まり快活な第2主題が展開する1楽章、2楽章は遊び心のあるリズミカルなスケルツォで、ヴァイオリンとピアノの軽快なやり取りと憂いを含んだ中間部とのコントラストが面白く、続く3楽章はどこか印象派の雰囲気を感じるメランコリックな楽章になっています。そして最終楽章は躍動感あふれる力強い旋律で華やかに終わります。